ヨーゼフ・ホフマン ウィーン分離派の中心メンバーの一人。20世紀始めに ウィーン工房を主宰した人物。1899年以降、37年にわたってウィーン芸術工芸学校で教鞭をとりました。1905~1911年、アドルフ・ストックレーからブリュッセルの別邸(ストックレー邸)の設計を依頼され、ホフマン及びウィーン工房が装飾、家具、食器、庭園までをデザインし、クリムトが食堂の壁画を描いたことでも知られています。1912年にはオーストリア工芸連盟の発起人の1人に名を連ねています。こうした経過で、彼の様式はますます生真面目で、現実的なものになり、実用的なものに絞られていきました。また第二次世界大戦後、彼はヴェニスの国際ビエンナーレのオーストリア代表や芸術審議会の委員など公的な役職を数多く歴任しました。 クーブス 1P クーブス 2P クーブス 3P